過去の偉大?な合格者①
皆さん、こんにちは。
私も大学受験指導歴がかれこれ20数年になります。 長いこと大学受験指導をしていると、『偉大な合格者』が多数存在します。
本日は、私が九州時代に担当したY君を紹介します。
私とY君の出会いは、彼が高2の春でした。 お父様は、地元でも有名な開業医。お母様も東京の超有名私立大学であるK義塾大学卒。 お兄さんも国立医学部合格。まぁ、いわゆる周りの家族がスゴイ人の中にいました。
彼は地元ではNo1の進学校に通ってはいたのですが、いわゆる自由人。
まずはバンド活動。 彼との最初の面談は、バンド談義だったのを今でも覚えています。 (こう見えて、私も高校時代はバンドに明け暮れた人なのです・・・コンテストで九州3位にもなったのですよ・・・笑)
まぁ、当時の彼は、東進の校舎には、3か月に1回くらいひょっこり現れる、 いわゆる『東進でのレアキャラ的存在』でした。
高2の冬になり、そんな彼とまず約束したのは、『とにかく毎日東進に顔を出す!』でした。 『毎日来校して受講』というのは、彼には到底できない行動だと分かっていたので、 『毎日、顔を出すだけ』の目標をたてました。
彼は、それから毎日、顔を出すようになりました。 厳密には、顔を出すだけ(校舎に来て、挨拶し、3秒ですぐに帰る)という生活を高3の春まで続けました。 当然ですが、成績は進学校の中で下から1ケタ・・・涙 という状況でした。 何度もお母様においでいただき、改善を一緒に考えたのですが、全く変わらずの生活でした。
そして、高3の夏が来ました。受験の天王山です。 彼が校舎に来校して仰天!!!!!!!髪の色がピンク色に!!!!!!! 何でもバンドでライブがあるので、この夏はピンクで行くとのこと。
そこで彼と3つの約束をしました。 【約束1】夏はピンクの髪でいいが、新学期は黒にする 【約束2】新学期から本気で志望大学を決定し学習する 【約束3】新学期までにこいつに負けたくない!というライバルを見つけておく。
9月になり、髪は黒色(正常に)、早稲田大学という志望大学を設定し、M君という国立大学医学部ほぼ合格間違いなしの生徒(今は東京女子医科大学の脳外科医になっています)をライバルに設定しました。
彼の受験勉強の原動力は、このライバルとの闘い?にあったと思います。 模試ごとにお互いの点数を比較しあい、勝った・負けたと話をしていたのを今でも思い出します。 それからの彼は、別人のように勉強しました。放課後から閉校時間まで、1日も休まず、常に全力投球の日々でした。
私大の試験時期である2月に入り、続々と合格発表が出だす時期が来ました。 結果は惨憺たるものでした(涙) 発表する大学(MARCHレベルの大学)がすべて不合格・・・ もう残すのは早稲田のみ・・・
早稲田の商学部、社会科学部・・・・等々 全部不合格でした。 最終最後の早稲田大学・人間科学部の合格発表日。 彼から一本の電話が!
Y君:『先生、受かった~~~~~~~~~~~~~~~!』
私:『マジか~~~~~~!』(失礼な応答でした)
そうやって彼は最後の最後に早稲田大学に合格しました。 その後、彼は、年収ランキングで常に上位にくるKエンスという会社に就職。
結婚式に招待され、そこで乾杯の挨拶を任されたのですが、高校時代の彼の姿が走馬灯のようによみがえり、号泣して挨拶にならなかったなぁ・・・・
最後に、 ① 受験で絶対はない 絶対合格もなければ、絶対不合格もない。これまで勉強に身が入らなかった人も過去を考えてクヨクヨせずに、前を向いて前進あるのみ ② ライバルの存在 こいつにだけは負けたくないという友人が何よりも君を強くします。 ③ 自分のポリシーを貫くことも大事 1回きりの人生です。悔いのないようにやりたいことを実現できる人生であってほしいと思います。